クラシックCD聴き比べ ~ Classic CD Memos ~

演奏者への敬意を込めて、つたないメモを書いています。

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 アルゲリッチ(97)

2016.12.26 (Mon)
アルゲリッチ&デュトワ_
アルゲリッチ(p)/デュトワ/モントリオール交響楽団(97、EMI)は失望。
期待が大きかっただけに落胆が大きかったのを今でも鮮明に覚えている。

まず録音が冴えない。
このオケがDECCAで録音している同じ場所で録ったのによくもこれだけ平板に
したものだ。録音陣の責任は極めて重い。
アルゲリッチの契約の関係でEMIになってしまったのだろうが誠に残念。

そして演奏だが生ぬるい。
よく聴くと流石アルゲリッチという表現が見られるが、もっとできる。
デュトワは優等生。

どうもファミリー企画先行型のCDのようだ。
アルゲリッチの破天荒な人生に思いを巡らせる。
(元夫婦協演、ライナーノートは次女、
 CD写真は三女、といってもデュトワの娘は次女のみ)

録音はモントリオール、聖ユスターシュ教会でのセッション。
鮮度がなくぼやけている。

6:57  4:34  4:25   計 15:56
演奏    B+    録音  87点

アルゲリッチ親子

<アルゲリッチ 略歴>
共演者を次々に虜にする彼女にはやはり独自のオーラがあるのだろう。
1941年6月5日  ブエノスアイレスで生まれる
1946年 ヴィンチェンツォ・スカラムッツァの元でレッスンを始める
1949年 モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」を人前で演奏
1955年 ペロン大統領の指示によりヨーロッパに渡る。ロンドン・ウィーン・スイスで
     グルダ、マガロフ、リパッティ夫人、ステファン・アスケナーゼに師事。
1957年 ブゾーニ国際ピアノコンクールと、ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝
1959年 指揮者シャルル・デュトワと共演
1960年 ドイツ・グラモフォンからデビューレコードをリリース
1963年 ホロヴィッツに会いにニューヨークへ。作曲家ロバート・チェンと結婚。
1964年 ジュネーヴでチェンとの子、長女リダ誕生。
      実母ファニータが託児所からリダを連れ出し、逮捕される。チェンと離婚。
1965年 ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。
      ポーランド放送局賞(マズルカ賞)受賞。
1966年 ロンドンで暮らす。スティーヴン・コヴァセヴィッチと出会い、交際、破局。
1969年 ウルグアイのモンテビデオでシャルル・デュトワと結婚
1970年 ベルンでシャルル・デュトワとの間に次女アニー誕生
1972年 チャイコフスキー「協奏曲第一番」をデュトワと共演
1974年 デュトワと離婚。コヴァセヴィッチと同棲。「夜のガスパール」を録音
1975年 コヴァセヴィッチとの間に三女ステファニー誕生(コヴァセヴィッチとは未婚)
1978年 ヴァンス音楽祭でミッシャ・マイスキーとアレクサンドル・ラビノヴィチと出会う
1980年 ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで審査員を務めるが、辞退。
     イーヴォ・ポゴレリチ事件
1982年 ネルソン・フレイレと演奏会
1983年 ミシェル・ベロフと交際
1984年 ベートーヴェンのピアノとヴァイオリンのためのソナタ全曲をクレーメルと録音
1987年 ベロフと破局。アレクサンドル・ラビノヴィチと交際
1989年 母ファニータ死去
1992年 長女リダに娘誕生、メラノーマ(皮膚がん)が見つかる
1995年 別府アルゲリッチ音楽祭始まる
1996年 コペンハーゲンでヴィオラ奏者となった長女リダと共演
1997年 メラノーマの手術
1998年 別府アルゲリッチ音楽祭総監督就任
1999年 ブエノスアイレスでマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクールを創設
2000年 カーネギーホールでソロ・コンサート、父フアン・マヌエル死去
2001年 第二回アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ国際賞授与
2002年 スイス、ルガーノ・フェスティヴァル「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」開催
2005年 日本で「第17回高松宮殿下記念世界文化賞」及び「旭日小綬章」受章
2010年 第16回ショパン国際ピアノ・コンクール審査員
2014年 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭にてギドン・クレーメルらと演奏

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