クラシックCD聴き比べ ~ Classic CD Memos ~

演奏者への敬意を込めて、つたないメモを書いています。

シベリウス タピオラ ギブソン(76)

2016.01.01 (Fri)
ギブソンタピオラ
ギブソン/スコティッシュ・国立管弦楽団(76、CHANDOS)は束の間の幻影。
霧の中から立ち上る隠しきれないロマンが表出されるのは、男・ギブソンだから。

演奏時間はベルグルンド/ヘルシンキ(87)の14:52につぐ、15:36という短さ。
この曲は指揮者による演奏時間の差が激しい。
FMで聴いた2015年シベリウス音楽祭のセーゲルスタムの演奏は22:30だった。

シベリウスはダムロッシュから作曲の委嘱を受けた時
「曲の長さが15分程度か、少なくとも20分を越えないようにしていただきたい」
という注文があったとのこと(参考:『シベリウスの交響詩とその時代』神部智著)。
それを念頭に置くとギブソンやベルグルンドの速い方の2種は合点がいく。
シベリウスはカヤヌスのタピオラの録音(17:39)についても「遅すぎる」と
苦言を呈したともいわれる(同著)。

しかし、私が一番しっくりするカムやヴァンスカ盤は略カヤヌスと同じタイム。
15分程度の演奏では「凍てつく森」が出現し峻厳さが際立ち過ぎる可能性がある。

シベリウスは『交響幻想曲』と当初名付けた交響曲第7番のあと
一層削ぎ落した方向で「タピオラ」を企図していたのだろう。
ただ、初演が不評に終わったことにあらわれるように
あまりに聴衆に媚びず作曲者の世界を貫徹すると
取り付くしまのないような音楽に聴こえることも事実なのだ。

一方、20分を越えるセーゲルスタムの演奏では確かに厳しさは弱まる。
これでは作曲者の意図とは大幅に異なるのだろう、
だが、実はこのセーゲルスタムの演奏では
森の中での不思議な浮遊、幻想的体験をする。
それはそれで面白い。
(一度作曲家の手を離れた作品は、演奏者により思わぬ多様性を持つ。
 まさにこれが音楽を聴く醍醐味の一つ。
 クラシックだけでなくPOPの世界でもREMIXが盛んに作られる所以。
 但し、そのためには原曲が可能性を秘めていなければならない。)

さてこの演奏はどうか。
シベリウスの指定の時間を守りながらも峻厳とは別の世界。
疾走の中に優しさを感じさせる。
冒頭から音は短く切られ前進性を持つ。小細工はない。
全体が淡く流れていく。
後半の雷鳴も息の音を止めるまでには至らないジェントルさ。
そして終結部は実に温かく、長調で終わる意味を感じさせる。
(プロコフィエフではないが)束の間の幻影をを見たような安堵感。
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録音はグラスゴー・ホールでのアナログ・セッション。
シャンドスらしい響きの多さでややヴェールがかっているが、
この曲の厳しさを中和する面もある。
楽器の粒立ちやDレンジの広さを誇示するような音ではなくなだらか。

15:36
演奏   A+   録音  90点

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