クラシックCD聴き比べ ~ Classic CD Memos ~

クラシック音楽のCDを中心に演奏者への敬意を込めて、つたないメモを書いています。

シュミット Sym1~4 の記事一覧

シュミット 交響曲第3番 ルイジ(04)

2013.01.28 (Mon)
ルイジシュミット3
ルイジ/中部ドイツ(ライプチッヒ)放送交響楽団(04、MDR)は慈しみの名演。
私が最初にこの曲に接したペシュク盤に比べて洗練された響きだが、
ヤルヴィほどさっぱりしていない。
この指揮者はシュミットを愛しているなと感じる。
この交響曲は1928年に書きあげられシューベルト没後100周年作曲コンクールで
2位となった。優勝はアッテルベリの交響曲第6番でぱっと聴いた感じでは
優勝曲の方が一般受けすると思われる。
しかし、このシュミットもメロディははっきりしておりかつ美しい。
第2番ほど巨大な編成を要求しないのはシューベルトを意識したのかもしれない。
前半に重点があり、後半が軽いブルックナーの7番の20世紀版。
少し頽廃耽美的に過ぎるところが危険な香りだ。

録音はライプチッヒ・アウグスティス広場MDRスタジオでのセッション。
ブルートーンで素直な音。弦の高域も適度な響きに支えられ美しいが、
強奏でDレンジは欲張っていない。

第1楽章の冒頭の木管の清らかな絡みがゆっくり。森の奥で泉がわき出すような。
そこに切なさと苦みを併せ持った弦のメロディが絡んでくる。
シェーンベルクのような12音階でなく半音階進行。
単純に美しいだけの調和的な音楽を繰り出せない時代の錯綜が投影。
ハラハラと落ち葉が舞い降りる中、川は流れる。
終結に向かって大きなドラマがあるわけでなくひたひたとインテンポで進めていく。
最速のヤルヴィよりも3分長い17分の世界。

第2楽章のメロディは不健康な美しさ。ひたすら繰り返される。
ブルックナーの後継といわれるが、あの人間を感じさせない瞑想とは違う。
個人の重いムードが背景にある。

第3楽章はスケルツォでアレグロ・ヴィヴァーチェ。
一見快活な動きを見せるが、少し斜めなのだ。
シュミットという人はシャイだったのではないか。
自分の気持ちを率直に表すことは憚られる、と。
トリオをテンポを落とし前楽章の憂鬱が再来する。
しかし同時にワルツで夢を見る。

終楽章は慎ましやかな喜び。古典交響曲的な佇まいを基調に微妙な屈折を持つ。
終結は高揚したところでぶったぎるシュミットの定石の潔さ。

ルイジのシュミットは演奏のレベルは高いのだが、
CD一枚50分弱の交響曲だけでジャケットも非正規盤のような地味さがマイナスだ。

17:03  9:19  10:40  12:48   計 49:50
演奏  A   録音 90点

シュミット 交響曲第2番 ライテル(87)

2013.01.09 (Wed)
ライテルシュミット2
ライテル/ブラティスラバ放送交響楽団(87、OPUS)は愛情のある演奏。
私はこの曲がシュミットの中では一番好きだ。
大編成で弦にしろ管にしろ持続音を出しながら音の綾を重ねていくので、
演奏は相当大変だと思うが、巨大な音響の中、
抗しがたく覆しがたい人生の黄昏を感じる。
作曲完成が1913年という世紀末から大戦に移行する
この時代の持っている空気感かもしれない。

演奏はまことにまっとうで共感に満ちている。
この作曲家は1874年現在スロヴァキアのブラティスラヴァに生を受け
ウィーンに家族が移住する14歳まで育った。
この地はオーストリア国境からわずか数キロで、ウィーンともごく近い。
指揮者ライテルも1906年に同地で生まれ音楽教育を受けた。
東欧の指揮者だったために脚光を浴びることはなかったが、
デジタル時代になり80歳を超えて録音したフランツ・シュミットの全集は
時代を共有した彼の大いなる遺産だ。
ライテル

録音は、ブラティスラバ放送局スタジオ1でのセッション。
東欧的な誇張のない比較的地味な音。しっかりデジタル時代なのでヒスなどない。
響きの量などは適切。音量を上げると目覚めるタイプの録音。

第1楽章冒頭のハラハラと紅葉した葉が舞い降りるような主題提示は、
そのまま完熟した後期ロマン派が終焉を迎えるような響きを持つ。
その後の展開も、シンフォニックでありながら何かに一方的に熱狂する
というものでなくため息交じり憂いながら進行する。
作曲者ゆかりの地のこのコンビは優しくそれを辿る。慈しむ。
ヤルヴィとシカゴ響との演奏とは響きが相当異なる。
ヤルヴィ盤は巨大な音響が起立してはぶっ倒れる様が見事に描かれるが、
少し粘りながら病を持って倒れこむのはこちら。
とはいえ、シュミットの音楽自体はこのころマーラーよりもブルックナー的で
音響に語らせるので実は鬱陶しくない。

第2楽章は長大な変奏曲だが最初のテーマの提示のなんと愛情に満ちていることか。
続く変奏もそれぞれの特徴を上手く出しており緩急も付けている。
ブラームスをベースに新ウィーン楽派を少しまぶしたような音楽。
絢爛たるウィーンの舞踏会を彷彿させもする。最後は巨大な音響で幕を閉じる。

終楽章は少し厳粛な雰囲気が漂う。徐々に徐々に音を積み重ね最後に振り絞る。
渦巻く音が怒涛の時代を象徴しているが、最後は潔く振りきる。
あまり人の陰を見せないこの曲はブルックナー的なイメージだ。

15:44  19:35  14:48  計 50:07
演奏  A   録音 89点

シュミット 交響曲第4番 N・ヤルヴィ(96)

2013.01.08 (Tue)
ヤルヴィシュミット4
ネーメ・ヤルヴィ/デトロイト交響楽団(96、Chandos)は客観的な視座も持つ名演。
この曲は私小説的な内容を含むだけに気をつけないとべとべとになるが
この演奏は美しさを掬い上げることに成功している。

この曲を最初聴いたとき(メータ盤)、あまりに陰鬱なためシュミットの中では苦手だった。
ハ長調とあるが、もはやそれが信じられないほど調性は短調的に変転する。
しかし、それなりの地位に昇りつめた(1927年ウィーン芸術大学校長就任)男の
身に起こった悲劇(1932年)を契機に作曲されたことなどに思いを巡らせると
沁みるものがある。
作曲時は50代後半であるから、人生の酸いも甘いも経験したではず。
それでも心身共に折れそうなことはあるものだ。
自分を励ますために作曲された。
しかし、この曲が完成できるか常に不安を抱いていたというように
全編に吹っ切れない影は付きまとう。
1934年に完成され初演もされた。
こののち1938年にはオーストリアがナチスドイツに併合され翌年作曲家は亡くなった。
更に精神病棟にいた最初の妻はその3年後にナチの「断種法」のもとでガス処刑された。
諸々の出来事がこの曲の周辺を渦巻く。
Schmidt-Franz-04.jpg

録音はデトロイトシンフォニーホールでのセッション。
響きが豊かで立体感もあるのでこの曲の夢幻的なところを上手く出している。

第1楽章は物寂しげで不安定なトランペットの独奏で始まる。
この主題は全曲を覆う。弦による第2主題も民族的でこれまた憂いを持つ。
不安で悲しくて癒されたい(第1主題)。
しかし救いの手もあまりにも儚くか細い(第2主題)。
この両方の主題が絡みながら展開する。しなだれかかる様な音が連綿と続く。
この今にも崩壊しそうな危なさがF・シュミットの魅力ではある。
冴えない陰鬱な気分はなぜなのか。
そうだ、あの出来事が今の気分を支配しているのだ。
あの出来事とは・・・。

第2楽章はチェロの独奏により導かれる。これまた、悲しみを含んだ切ない旋律。
あの出来事、自分の娘が子供を産んですぐに亡くなってしまったこと。
自分の妻は精神に変調を来たし、病院に入ったきり。
そんな中、希望の光だった娘。この子には幸せになってほしい。
しかし・・・。
自分の子供を抱くこともできずに逝ってしまった娘が不憫だ。
中盤からはタタタタンというリズムが頻繁に現れ葬送行進曲となる。

第3楽章は、ステップを踏むようなヴィヴァーチェ。
悲しみを振り払う無理した明るさだが屈折している。

終楽章はやりきれない思いが復活する。ホルンによる冒頭テーマが回帰。
25歳で最初の結婚。娘も生まれて幸せだった日々。
甘美なあの日が幻影のように蘇る。しかしそれは幻影でしかない。
最後に冒頭のトランペットが再び虚ろに戻り消える。

あまりにも演奏効果が期待できない作品だ。
こんな音楽に40分以上付き合わされるのはたまらないと思う人も沢山いるだろう。
この曲は、シュミットの代表作といわれるが一番最初に聴いていいとは思わない。
しかし、強がる男程、こんな曲に実は大いなる共感を抱くかもしれない。
私は、職人肌のヤルヴィ父がこの曲に共感しているのがわかる。

13:14  12:06  7:37  9:10   計 42:07
演奏  A+   録音 92点
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