クラシックCD聴き比べ ~ Classic CD Memos ~

クラシック音楽のCDを中心に演奏者への敬意を込めて、つたないメモを書いています。

ブラームス ピアノ協奏曲第1番 グールド(62)

2017.10.19 (Thu)
グールド&バーンスタインブラ1
グールド(p)/バーンスタイン/ニューヨークフィル(62、SONY)は
「WHO IS THE BOSS?」・・・このスピーチが有名になってしまった。
gouldarticle_crop.jpg
1962年4月5,6,7,8日演奏されたうちの2日目の記録。
演奏会に先立ってバーンスタインがスピーチする(CDに収録)。
この演奏の遅いテンポはグールドの主張によるものでそれに賛同できないが
独奏者に敬意を表してそれに従う、といった内容。
最終日はバーンスタインのテンポで演奏したのでこのスピーチはなかった。
このスピーチは興味深いので全文を転載させてもらう。

『心配しないで下さい。グールド氏はちゃんと来てますから(聴衆笑う)。
間もなく登場するはずです。
私は、ご存じのように、木曜の夜のプレビュー以外ではコンサートの前に
お話しする習慣はないのですけれども、非常に面白い状況が生まれましたので、
一言、お話しておいた方がいいと思ったわけです。

これから皆さんがお聴きになるのは、言ってみればかなり正統的とは言いがたい
ブラームスの二短調協奏曲です。
それは私がこれまでに聴いたことのあるどの演奏とも全く違うもので、
テンポは明らかに遅いし、ブラームスが指示した強弱から外れている部分も
多々あります。こんな演奏は想像したこともありませんでした。

実は私はグールド氏の構想に完全に賛成というわけではありません。
そこから興味深い疑間が生まれます。
私はこれを指揮することで何をしようというのか、という疑問です(聴衆笑)。

私がこの曲を指揮するのは、グールド氏は大変に確かな、まじめな芸術家ですから、
彼が真剣に考えたことは何であれこちらもまじめに受け取る必要があるということと、
今回の彼の構想はとても面白いものなので、皆さんにもぜひ聴いていただきたいからなのです。

それでも昔からの疑間がまだ解決されていません。
つまり、協奏曲にあっては誰がボスなのか?(会場爆笑)
独奏者なのか、それとも指揮者なのか?(大爆笑)

もちろんその答えは、ある時は独奏者、ある時は指揮者という具合に、ケースバイケースです。
けれどもほとんどどんな場合でも、両者は、説得力とか魅力という方法を通じて、
時には脅迫までして、統一感のある演奏を作り出そうと努めます。
私が、独奏者の全く斬新な、これはどうかと思えるような構想に従わざるを得なかったことは、
これまでに一度だけありました。前回グールド氏と共演した時です(爆笑)。

ですが今度ばかりは、2人の意見の食い違いが非常に大きいので、
このささやかな説明をしようと思い立ったわけです。
そこで、先ほどの疑問を繰り返しますが、私はなぜこの曲を指揮するのでしょうか?
なぜ、ちょっとしたスキャンダルは覚悟の上で、代わりの独奏者を立てるなり、
補助指揮者に振らせるなりしないのでしょうか?

それは、頻繁に演奏されるこの作品を新たな視点から見るということに私が魅せられ、
喜びを感じているからであり、
さらには、グールド氏の演奏には、驚くべき新鮮さと説得力をもって迫ってくる瞬間が
あるからであり、
3つ目の理由として、思考する演奏家であるこの類い希なアーティストから、
私たちは誰でも必ず何かを学び取ることができるからなのです。
そして最後の理由として、音楽にはディミトリ・ミトロプーロスが「戯れの要素」と
呼んだものが含まれるからです。それは好奇心とか冒険、実験という要素ですが、
グールド氏とブラームスのコンチェルトをやってきた今週は、まさに冒険だった
と私は断言できます(笑)。
そのような冒険精神にのっとって、これから演奏したいと思います(拍手)。』
バーンスタイングールド
さて、演奏だがよほど異様なものかと思いきやそんなことはない。
第1楽章が確かに25分と長く独特の表情を見せるが
後続第2楽章は美しく、終楽章はオケも迫力がある。
どうせならばバーンスタイン主導の最終日の演奏も併録してほしかった。
協奏曲のあり方を考えるに面白い素材。

録音はカーネギーホールでのライブ収録。放送用音源でモノラル。
ラジオ用なので帯域は狭く低域は薄いが安定した音で聴くのには支障がない。
グールドの唸りもしっかり捉えている。

25:48  13:45  13:48   計  53:21
演奏   話    録音  77点

ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ルービンシュタイン(76)

2017.10.18 (Wed)
rubinstein mehta 1
ルービンシュタイン(p)/メータ/イスラエルフィル(76、DECCA)は
長い盤歴を誇るルービンシュタイン最後の録音。
時代活劇の獅子のような逞しい打鍵と劇的なオケ。
白か黒かはっきりさせるメリハリは痛快ですらある。

ルービンシュタイン(1887~1982)の4度目の録音。
この年にコンサートを引退した。90歳!!目前。
『それまでのどの録音よりも遥かに満足すべきものとなった』
と自伝に書いた演奏。
本人の思いと客観的に聴いての感想は違うことはある。
正直に言って、テクニックは流石に衰えている。
しかし、技巧の世界を超越した本人の気持ちの良さは一番だろう。
気の合う孫のようなメータ(1936~)を従え自由の境地で奏でている。

第1楽章序奏はオドロオドロしい。思い切りのいいメータが早速刻印する。
同時期のニューヨークフィルとの演奏と違いはったりの効いた音響&録音。
ピアノは大変図太くおおらか。
この時ルービンシュタインの視力は相当衰えていたというが、全く感じさせない。
どうだ!という自信が溢れかえっている。

第2楽章は20年前のライナー指揮のものと比べると遥かに落ち着いている。
分厚い低弦の上に乗るピアノ。ただしここでも枯れた感じはしない。
妙にセンチにならない。

終楽章のテンポは速いわけではないが、音符の詰まるところではやや苦しい。
でも最後まで俺流でいくルービンシュタインはとてもダンディだ。
ルービンシュタイン3

録音はテルアヴィブのマン・オーディトリウムでのセッション。
経年は感じるがDECCAらしいどの楽器にもフォーカスしてやるという意気を感じる。
また低域は持ち上げているのではないかと思うほど響く。
ヘッドフォンで聴くとその作為が目立つがスピーカーなら自然だ。

22:59  14:32  12:34   計 50:05
演奏   獅    録音  88点

ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ルービンシュタイン(54)

2017.10.17 (Tue)
rubinstein reiner 1
ルービンシュタイン(p)/ライナー/シカゴ交響楽団(54、RCA)は衝突前夜の緊張感。
ピアニスト、指揮者の両雄王者の風格が漂う。

ルービンシュタイン(1887~1982)やライナー(1888~1963)の生まれた時は
ブラームス(1833~97)はまだ現役だった。そんな老巨匠同士の初めての競演。
しかしこの二人の競演は2年後のラフマニノフ(1956年)で終わる。
第3回目の録音中に喧嘩してしまったらしい。
ともかくお互い同世代でプライド高く気性が激しかったのだから仕方ない。

この演奏では紛争は回避されている。
ただ両者の譲らないキャラはよく出ている。
まず、オケだが表情は直截剛直のライナー節。
そして総じてテンポが速く46分半でこの曲を締めくくる。

冒頭楽章の序奏は大砲のような豪快さでシカゴの面目躍如。
ピアノが出る前に一発かますやる気満々。
最終楽章は70歳目前の老ピアニストをいじめるようなイラチなテンポ。
この畳み掛けるテンポ感はこの指揮者のもの。
(ルービンシュタインのその後の盤はもっとゆったりしている)
しかしこの時のルービンシュタインはこんな意地悪に負けずしっかり叩いている。
これは流石。

最初の楽章からルービンシュタインは極めて明快なタッチで矍鑠。
豪快なオケに一歩もひけをとらない。後年のメータ盤とは相当違う。
またソロになると完全にピアニストの世界に引きずりこむ。
第2楽章も毅然としたものだ。ただ、味わいは後年盤が勝る。

ともかくオケとピアニストがこのように張り合う演奏は今では聴かれなくなった。
rubinstein reiner playback

録音はシカゴのオーケストラホールでのセッション。
まさにステレオ最初期のRCAの威力を示す。
低域の分厚さはラウドネス感がある。ヴァイオリンが左、チェロが右。
そしてコントラバスが中央やや左奥なのだがこれがゴーゴー響く。
全体的にオンマイクながら、ホールに余裕があるので窮屈ではない。
なお、ピアノはピアノフォルテのような独特の響きを持つ。

21:33  13:33  11:20   計 46:26
演奏   王    録音  87点

ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ギレリス(72)

2017.10.15 (Sun)
gilels jochum brahms 1
ギレリス(p)/ヨッフム/ベルリンフィル(72.DG)は凄味あり。
抑制と爆発の落差が大きくダイナミック。
以前はこの演奏があればよいと思っていた。
この曲の青春の輝きとどうしようもないパワーを示す。
このコンビの第2番より曲想にマッチしていると思う。

ギレリス(1916~85)はウクライナ生まれで早くから西側でも活躍した。
硬派なイメージだが私は彼の弾くグリークの「抒情小曲集」の
凛とした切なさの虜になった。

ヨッフム(1902~87)はEMIのブルックナー全集などは
相当変わったことをしているが、DG時代はまっとうで大らかな音楽づくり。
時に「カルミナ・ブラーナ」や本盤では強固な一面を見せる。

第1楽章のど迫力は流石ベルリン。カラヤン張りの硬質ティンパニもいい。
またヨッフムにしては意外なほど粗野剥き出しで、じっくりと劇的に運ぶ。
ギレリスも最初チョロチョロだが徐々に本性の鋼鉄のタッチを見せる。
オケはいつも横綱的でギレリスの打鍵をしっかりと受け止める。
この楽章24分とスケール感十分。

第2楽章はこのピアニストの美質が出ている。
オケとともに清らかで芯が強い。

終楽章のギレリスの歯切れのよいタッチが痛快。
オケの厚みも申し分なく若いピアノ付き交響曲を締める。
gilels jochum brahms 1recording

録音はベルリン・イエスキリスト教会でのセッション。
一聴してこの場所とわかる清々しさ。
オケ単独の録音よりも少し距離感はあるが、ピアノは適切。
バランスのよく当時の優秀録音と思うが、
最強打の場面ではテープ限界が無いではない。

24:04   14:44  12:34   計 51:22
演奏   A+   録音  88点

ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ベルマン(79)

2017.10.12 (Thu)
ベルマンブラ1CD
ベルマン(p)/ラインスドルフ/シカゴ交響楽団(79、SONY)は屈託なき重戦車。
これはピアノもオケも。

レニングラード生まれのラザール・ベルマン(1930~2005)は1975年突如として
鉄のカーテンの向こうからやってきた幻のピアニストだった。
ベルマンブラ1
アメリカで大評判となったピアニストは商業主義に巻き込まれ潰されていく。
ベルマンはそれに加えソ連当局からもマークされたこともあり80年代以降は
見え隠れする。
彼自身自分はヴィルトゥオーソと呼ばれる古いタイプの演奏家であることを自認していた。
「精神主義」を重んじる日本ではこうしたピアニストは干されていく。
ベルマンが再度わが国で脚光を浴びたのは村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、
彼の巡礼の年』(2013年)で彼のリストの演奏(1977年)がフューチャーされたときだろう。
色彩を持たない多崎つくると
しかしこの時彼はもう物故していた。

一方ラインスドルフ(1912~93)はこの録音の時はボストンも離れフリーだった。
シカゴとの組み合わせは珍しいがショルティやアバドとは違うドスの効いた音づくり。
これが聴きものだ。

第1楽章冒頭のフォルティッシモは仰け反る。録音の加減なのか異様な重低音。
スコアにないチューバかバス・トロンボーンが鳴っているのではないかと錯覚。
低弦も凄味がある。
その中登場するピアノは平然とゆっくり入るが、ここぞというときボワーーン。
そして微妙に溜め揺れる。これがロシア・ピア二ズムか。
ある意味そのおおらかさはラテン的マナー。
このピアニストがイタリアを永住の地としたのがよくわかる。
とにかく小細工がないのは気持ちよい。

第2楽章も妙にしんみりすることなく、足早ロマンティック。

終楽章はパリパリ行く。ピアノはここでははっきりタッチでずんずん進む。
オケも負けずに少し煽る。陰影はあまりなくやはり屈託ない。

終わってみれば保有版最短の演奏時間だが、それほど速いという印象が
ないのは図太い音のせいか。

録音はシカゴのオーケストラホールでのセッション。
デジタル移行前のアナログだが低域から分厚く捉える。当時の優秀録音。

20:53  11:25  11:36   計 43:54
演奏   A   録音  91点
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