クラシックCD聴き比べ ~ Classic CD Memos ~

クラシック音楽のCDを中心に演奏者への敬意を込めて、つたないメモを書いています。

J.シュトラウスⅡ世 美しく青きドナウ アーノンクール(86)

2018.04.20 (Fri)
アーノンクールシュトラウス
アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(86、TELDEC)は
真面目な交響詩。

アーノンクールはブラームスと同時代同等の作曲家として
同郷の先輩に敬意を払いスコアの忠実な再現を試みた。
オケにウィーンでなくRCOを使ったのも、
敢えてウィーン風の慣行的な崩しを回避したかのよう。
その結果出来上がったワルツは非常にシンフォニック。

但し、立派だがワクワク感がない。
この盤には全10曲のJ・シュトラウスⅡ世の音楽が
収められているが大体そんな感じ。

「ピチカート・ポルカ」にしても最初の一音をお茶目な弦のみではなく
フォルティシモのフルオケの強力なトゥッティで始めているので
こちらの居住まいが正される。終結も巨大。

「エジプトの行進曲」もドイツ風の四角四面さ。
ただし、ここではオケ団員による「ラーララ」という
何とも暗いコーラスが突如挿入され面白い!

ともかく全般的にいろいろ趣向は凝らしているが・・・
気楽にウキウキしたいときには似合わない。
アーノンクールシュトラウス2
日本で出ている指揮者ドアップのジャケットはいかがなものかと思ったが
ある意味この真面目な演奏をよく表しているともいえる。

録音はコンセルトヘボウの本拠地。
一定の水準は確保しているがテルデックの録音で聴くとこの場所が平板化する。
スケール感も鮮明さもどちらともつかない感じに。

9:30
演奏   A-    録音  90点

プロコフィエフ 交響曲第6番 ウェラー(75)

2018.04.19 (Thu)
プロコウェラー6
ウェラー/ロンドンフィル(75、DECCA)は情熱的な寂寥。
特に前半2楽章は思いつめた孤独。寂しさ満載。
さらりとしたクールなプロコフィエフはここにはいない。

ワルター・ウェラー(1939~2015)はウィーンで生まれウィーンで没した。
ウィーンフィルのコンマスに上り詰めた後、英国を中心に指揮活動をしたが
それは比較的地味なものだった。
(↓ベームの指示を受けるコンマス時代のウェラー)
ベームから指導を受ける
そんな彼が残したプロコフィエフ全集。
独墺ものでなくなぜ現代ロシアものなのか?

この全集を聴くと分かるが彼は心情的にプロコフィエフにただならぬ
共感を寄せていたのだ。
なぜコンマスだった人が指揮者になったのか。
それはプロコフィエフに対して自分の表現したいものがあったから
とすら思える。第6番でもそんな彼の熱い思いが伝わる。

第1楽章は保有盤最長の時間をかける。
冒頭のトランペットからのワンフレーズごとの息遣いに心象が宿る。
深くため息をつく、項垂れる。とめどなく彷徨う。
第2楽章の意を決したようなフォルティシモから滔々とウェットな吐露が続く。
ここでもたっぷりした時間がかけられる。最後は悶絶。
終楽章は前2楽章の耽溺をあざ笑うかのようなギャロップ。
聴く人を惑わせる音楽でこの交響曲の理解を難しくしている。
ここではスピードとメリハリある音楽が展開され最後は矛盾を抱えたまま奈落に。

録音はキングスウェイホールでのセッション。
キングスウェイホール
アナログ完成期のデッカのものだけにくっきりした隈取とマッシブな迫力をもつ。
量感も個をマスクしないように捉えられている。
演奏会でここまで聴こえるかはわからないがこの演奏の陰影をくっきり映し出す。

16:34  16:51  11:57   計 45:22
演奏   A+    録音  91点

プロコフィエフ 交響曲第6番 ロストロポーヴィッチ(86)

2018.04.15 (Sun)
プロコロストロ6
ロストロポーヴィッチ/フランス国立管弦楽団(86、ERATO)は
そっけない中の共感。
一聴しただけではメリハリのない演奏に聴こえるのだが、
やはりロストロはツボを心得ている。

ロストロポーヴィッチ(1923~2007)はプロコフィエフ(1891~1953)と
若いころから親交があり、この作曲家から可愛がられていた。
1950_rostro.jpg
一方、このチェリストが指揮活動を始めたのはショスタコーヴィッチや
プロコフィエフを西側に広く紹介しようとする思いがあったともいわれる。
従ってこれらの作曲家については特別共感溢れる演奏が多かった。

演奏は最初比較的ゆっくりしたテンポで淡々と進む。
ムラヴィンスキーの切り込みもなければ、耽溺もない。
意外な感じに思っていると、第2楽章の後半では気持ちが抑えきれなくなるような
高ぶった悲痛さを見せる。押し殺していた感情がどっと溢れる。
但し、すぐそのあとケロリとして終楽章のヴィヴァーチェではぐらかす。
ここら辺がプロコフィエフらしい。本心をあからさまにしない。
フランス国立管が乾いた音を鳴らし続ける。
終結の素っ気ない凶暴もいい。

録音はフランス放送大ホールでのセッション。
Grand Auditorium
併録第1番と同じ場所での収録のはずだが鮮明度がやや違う。
この曲の方がピントが合っている。
マイクは近接ながらホールの音場も感じさせる。
エラートの録音はどちらかというと薄く軽い感じの音が多いが
この曲では不満は感じない。

16:04  16:52  12:22   計 45:18
演奏   A   録音  92点

プロコフィエフ 交響曲第6番 キタエンコ(2005)

2018.04.14 (Sat)
キタエンコ全集
キタエンコ/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団(2005、Phoenix Edition )は
深く沈降する。
私はショスタコーヴィッチよりもプロコフィエフの方が体制や戦争と
いったところから一歩距離を置いていたので
より時代を超える普遍性を持つのではないかと考える。
この曲も作曲時期(1947年完成)から第二次大戦の悲劇を振りかえるものと
解説されることがある。が、私にはもっと人間の個人の内面に関わる曲に
聴こえる。終楽章の最後の屈折などいかにもだ。
この演奏はそうしたことを一層強く感じさせる。

本盤はウェラー、ロストロ盤とともに45分かけたじっくりした演奏。
特に第2楽章は保有盤最長で、幻覚を見ながら深い森を彷徨うような恐ろしさ。
少しおどけたり、マーチになる部分も全て怖い。
脱力しながらずるずると底なし沼にはまっていくよう。
その兆候は第1楽章からあるのだがこの楽章で極まる。
終楽章もお祭りにならない。前半は抑え気味に進行し結部に行くに従い
パワーを増していく。そして最後は巨大な不協和音で突き落とされる。

録音はケルンのフィルハーモニーでのライブ。
ケルンフィルハーモニー
客席ノイズはない。量感豊かな優秀録音。
特に打楽器群の空気感がしっかり伝わる。
この会場は扇型で後部座席に向かってかなりの勾配。その結果天井が高く
巨大な空間になっている。その広大さがここでも聞き取れる。

15:33  17:27  12:14   計 45:14
演奏   A+     録音 94点

アーノルド 交響曲第5番 ペニー(2000)

2018.04.10 (Tue)
アーノルドpenny56
ペニー/アイルランド国立交響楽団(2000、NAXOS)は作曲者立会の録音。
そうしたこともあり1972年の作曲者指揮の盤に近い。
どちらかというと鮮烈さよりウォーム。

但し、どこか借りてきた猫的雰囲気が漂う。
テンポは作曲者のそれに近いのだが踏み込みがいまいち浅い。
結果的に大人しい演奏に聴こえる。
Andrew Penny
これは作曲者の立ち会いで遠慮してそうなったのか、指揮者ペニーの資質なのか。
この録音時80歳目前のアーノルドは既に心身ともにダメージが来ていた時期だと思う。
それがこの演奏の枯れた覇気のなさにつながっているのか。
ペニーはナクソスにアーノルドの交響曲全集を作っているが
全曲この傾向はある。

録音はダブリンのナショナル・コンサートホールでのセッション。
77048_Concert_hall_Dublin_master_landscape.jpg
内装が非常に凝っていて流線型。
広い空間を感じさせる音響。
鮮度は十分だが個々の楽器の極端なピックアップはないのは
ナクソスらしい。空気感は捉えられている。

10:32  10:54  5:07  6:03   計 32:36
演奏   A-   録音  92点
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